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富士山の祭神・木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)の御影が約150年を経て今よみがえります。





この絵札は、約150年前、江戸時代末期に富士山御師(おし)が富士山信仰のために信者に配布したものです。



版木(はんぎ)と言われる木版画を和紙に墨で摺ったものです。



現在は、地元でこれらの版木(はんぎ)を摺る人は見つからず、東京の浮世絵版画の先生に摺っていただきました。



この木花開耶姫命の版木(はんぎ)は、甲斐国都留郡川口村(現在の山梨県富士河口湖町)の富士山御師12坊の中の1つ「梅谷」から出てきたものです。



富士山御師12坊は、約1000年前に誕生し、全盛期の江戸時代には、この地に約140坊の御師たちの集落として栄えました。



例えば、1坊に6~8月の間に数百人宿泊したとすると、全体で数万人の登拝者がその期間にいたことになります。



平成の時代になって、富士登山は2~30万人と言われています。約十分の一の人数です。これはスゴイ!?



御師とは、浅間神社の神祇職として発生しましたが、やがて江戸時代においては、富士山の登拝者たちの世話役として、登山準備・宿泊・食事・祈祷などを行ないました。



また、それぞれの御師たちは、地方に檀那場と言われる信徒集団をつくり、登山時期の前と後に檀那場を訪ね、神札の配布や祈祷、お祓いなども行っていました。



江戸時代の富士講などは、その中で大変大きな勢力となりました。



今回ご案内する絵札は、富士山信仰の方々が掛け軸などにして、家に飾られたものです。



当時としては、富士山牛玉(ごおう)の護符などと比べると、高級品です。




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